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更新日:2023年03月20日
文字で書かれた歴史に「芽室」が初めて登場するのは、1800年(寛政12年)に十勝川を調査した皆川周修太夫の地図で「メモロ、ヒバイロ、ヒウカ、ヲトエペナイ、ケネ」などの地名が記され、このときメモロに2軒、ヒバイロに3軒の家があったと記録されています。
メモロの名は1808年(文化5年)の「東蝦夷地各場所様子大概書」の「戸勝場所大概書」にも見られ、十勝にあった40のコタン(集落)のひとつとしてあげられています。
「メモロ」とは、アイヌ語の「メム・オロ・ペツ(泉のわくところの川)」から来たと考えられています。
「北海道」の名付け親でもある松浦武四郎は2度にわたりメモロを訪れ、メモロのアイヌの住宅にも宿泊したと記録しています。
その後、明治33年(1900年)、芽室には戸長役場が置かれ、実質的の行政所在地としての「芽室村」が誕生しました。この時の戸数は424戸、人口1600人あまりでした。
十勝平野の中央部に位置し、秀麗な日高山脈を背に、大自然の懐に抱かれたまち、それが"めむろ"です。
基幹産業である農業は、肥沃な大地と気候条件に恵まれ、小麦・てん菜・ばれいしょ・豆類・スイートコーンなどの畑作では、道内有数の生産量を誇っています。
工業は、地理的な物流条件の良さや、帯広市に隣接しているという立地条件を活かし、農産物などの豊富な地場資源を活用した食料品製造業を中心に発展しており、さらに工業団地の造成・企業の誘致などを通じ、活性化を図っています。
第5期芽室町総合計画の将来像である、「みんなで創り みんなでつなぐ ずっと輝くまち」を目指し、すべての町民が快適な生活を営み、誇りを持って暮らし続けることができるようまちづくりを進めていきます。
513.76平方キロメートル
(東京ドーム約1万1千個分の面積)
×1万1千個
18,468人・7,950世帯(令和1年12月末・住民基本台帳)
農家戸数 595戸
経営耕地面積 20,320ha
1戸当たり耕地面積 33.8ha
農業粗生産額(平成29年) 31,490百万円(JAめむろ調べ)
主要作物の作付面積・収穫量
(平成29年農林水産統計から(馬鈴薯は平成27年))
●作付面積
小麦 6,090ha
馬鈴薯 3,190ha
てん菜(ビ-ト/砂糖大根) 2,790ha
●収穫量
小麦 40,400t
馬鈴薯 118,400t
てん菜(ビ-ト/砂糖大根) 216,400t
小麦の穂
じゃがいも
てん菜(ビート)
製造品出荷額 735億円
年間商品販売額 795億円
芽室町はゲートボール発祥の地です。
創始者の鈴木和伸氏は、戦後間もない頃、青少年のためのスポーツとしてクロッケーをヒントにゲートボールを考案しました。芽室町では高齢者から子どもまでが楽しんでいます。
ゲートボールが楽しめる「健康プラザ」にはゲートボールの創始者鈴木和伸氏の胸像が設置されており、資料室にはゲートボール考案にまつわる、氏の手紙や、考案に使用したスティックなどの貴重な資料が多数展示されています。
昭和44年9月27日制定
わたくしたちは、 十勝平野の中心に位し、秀麗な日高の山なみのもと、 清らかな美生の流れにはぐくまれ、 限りない発展の可能性に満ちた芽室の町民です。
わたくしたちは、 創造の精神をうけつぎ、 豊かな心情と高い知性を身につけ、 たくましい体力を養い、文化の香り高い町づくりにつとめます。
美しい心をもち、人を大事にしましょう。
たがいに認めあい、楽しくくらしましょう。
明るくせいいっぱい仕事にはげみましょう。
知恵と力を出しあい、手をつないですすみましょう。
未来に大きな夢をもちましょう。
町旗は、町章と同形、同色とし、地色は、十勝の住んだ青空を表した「薄い青色」となります。
昭和54年6月23日に、芽室町の花・木・鳥を指定しました。
ミズバショウ
エゾムラサキツツジ
カシワ
カッコウ
【歌声あり】
【歌声なし】
昭和24年9月18日制定
作詞 田沢武男
作曲 山崎政彦
●1番
青雲の かがようところ 緑濃き 沃野にたちて 新生の 息吹も新た はつらつと 希望に燃ゆる
おゝ今ぞ 花咲け芽室
●2番
大資源 幸呼ぶところ 鈴蘭の 花と香りつ 新文化 日に夜に進み とこしえに 栄えゆく街
おゝ今ぞ 花咲け芽室
●3番
十勝岳 雲湧くところ 川清く 風もみどりに 人の和の 笑顔にとけて ゆたけくも 平和に稔る
おゝ今ぞ 花咲け芽室
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